腹痛で緊急入院

7月1日:

「なんか現実感がないな・・・・・」

それが緊急入院したその日、深夜の病室で鼻にイレウス管、腕に点滴という状態でボーッと天井板の模様を眺めていた時に考えていたことでした。

先ほどまでの猛烈な腹痛は治まり、身体から生えている邪魔なチューブのために身動きもとれず、ただひたすら天井ばかりを見つめながら眠気が襲ってくるのを待っていました。ことの始めは先週のシンガポール出張。今回発表の研究を一緒にやったインドネシアの研究者とともに、ホテル近くの安いインドネシア料理屋で一緒に晩飯を食べた後のことです。ホテルに戻ると「なーんかおなかが痛いなあ・・・」ってな感じがじわじわと大きくなってきました。ベッドに横になり、強くおなかを押さえながら痛みが通り過ぎるのを待ち、何とか収まった後はそのままの格好でおねんね。
とりあえず帰国後しばらく過ぎるまでは何ともありませんでした。

さて、今日は朝から現在かかっている精神科の医者へ行き診察を受ける日。もうだいぶ回復してきているし、もうすぐ異動になる予定だったため、向こうの病院への紹介状についてなど転院の準備をしに行くだけでした。待合室で待っているとき、突然腹痛に襲われたのですが、我慢できる程度だったのでそのまま診察を受け、一度帰宅。実は、このとき飲んでいた抗うつ剤の副作用で「便秘がちになる」というのがあり、ちょうど2日ほど排便がなかったこともあり、その為と思いこんでいました。これが後々大問題に。というか、大問題になった結果、本当の最悪の事態にならなくて済んだとわかったのはだいぶ後でした。

便秘の為だと思いこんでいたので、薬局で便秘薬と浣腸を購入し、帰宅後それらを使い、しかも便秘薬の説明書に沿って水分をガバガバ取りました。これが命取り?になるとも知らずに・・・
もちろん排泄はなく、腹痛はだんだんひどくなり、ついには吐き気も出てきました。で、とうとうトイレでもどしてしまったのですが、なんと出てきたものは真っ茶色の液体。「これはもうアカン」と思ったときはすでに18時を過ぎ、家の近くの内科医院は閉まっていたので、電話で受け入れてくれるのを確認したうえで少し北にある私立の総合病院へ駆け込みました。

ふらふらの状態で何とか車を運転し、早速夜間外来の先生にみてもらうが、なんとこの日いたのは整形外科の人(まあ、この病院は整形外科が有名なところなので当然だが)で、おなかをさすってみた段階ですぐに「お腹専門の先生を呼んできますね」とおっしゃり、タッチ交代。しばらくして白衣を引っかけながら登場してきたのが、この後ずっとお世話になるA先生でした。

この後は痛み止めを打った後、触診、CT撮影、鼻からイレウス管の挿入と続くのですが、このころの記憶はかなりあやふやで、どんな順番だったかはほとんど覚えていないです。ただ、イレウス管を入れるときの強烈な痛みが記憶の深層に強烈に焼き付いているだけです。あれは今思い出してもイヤなものです。しかしイレウス管の威力は強力で、内圧が下がったせいか苦しさは一気に収まり、そのまま夜の病室(このときすでに21時30分)に担ぎ込まれ、入院となりました。

さて、入院となると家族に来てもらわなければならないのですが、私はつくば市へは単身赴任であり、奥さんは遠く神戸にいるのです。病室のベッドの上で、特別に許可をもらい携帯で奥さんに電話をかけました。

「もしもし」
「はい、どうしたの」
「いや、なんか腹痛で入院しちゃったんですよ」
「ふーん、そうなの」
「でさ、申し訳ないんだけど明日こっちまで来てほしいんだけど」
「うん、わかった」
「じゃ、よろしく。多分病院からも連絡行くから」
「じゃ、お休み」
「お休み」

多分こんな会話だったような、なかったような・・・・・
このときは「なんか淡々としてるよなあ」などと思ったのですが、後になって考えると、めちゃくちゃ動揺していたんだろうなあ、と。多分急にライトを当てられて立ちすくむネコのような感じだったのでは?

電話も終わり、A先生や看護師さんたちもいなくなり、ただボーッと天井を見つめる状態になり。さあ、これからどうなるんだろう。うーん、ま、何とかなるか、というか何ともならんだろうなあ、というまとまりのない考えが頭の中に浮かんだり消えたりしているうちに、長い闘病生活の初日が終わり、いつの間にか眠りについたのでした。

(記:10月10日)

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