自分自身の腰痛治療のときも感じたが、ある治療法について、
統計的にどの程度の患者に奏功があったか、というデータがあったとしても、
その治療法が、私という特定の個人に効果があるかどうかというのは、結局のところわからない。
同じ疾患の、同じ症状の人の90%に効果があったとしても、
自分自身が、効果のある90%に入るのか、効果のない10%に入るのかは全くわからない。
そして、99%の人に効果がない治療法があったとして、
もしかしたら、自分は効果のある1%に入るのかもしれない。
治療法を決めるにあたり、統計データは重要な情報であるが、
統計データを前にして、自分、という特異な1点について、どのような結果が生じるのかは、
要は、やってみないとわからない。がんでよく使われる、5年生存率などについても同じ。
進行度に対し、5年後の生存率が統計的に○%、と言われても、
では、目の前にいる、この患者はどうなのか、というのは、結局のところ医者にだってわからない。
患者またはその家族、という、特異的な立場にあると、
常に、統計データではない、特定の一点を考え続けることになる。
統計的に可能性の高いものが優先順位は高いけれど、
可能性が低いもの(がんの自然退縮も含め)についても、
たとえ一つでも、信頼に足る事例があるのであれば、
それを「例外」と言ってばっさりと切り捨てるのではなく、
そのような例がある、と心に留めることは必要だろう。
事例がある、というのは、そこには何かしら理由がある、と言うことであり、
もしかしたら、何か、治療の方針を考える上で、重要な情報となることがあるかもしれないのだから。

