先日、ネットサーフィン中に、原発に対するテロを題材にした小説として紹介されていたのを目にし、興味を引かれ読んでみた。著者は、少し前にドラマ化された「探偵ガリレオ」などを書いている、人気作家の東野圭吾氏。文庫本の装丁に書かれていた内容紹介は以下の通り。
「奪取された超大型特殊ヘリコプターには爆薬が満載されていた。無人操縦でホバリングしているのは、稼働中の原子力発電所の真上。日本国民すべてを人質にしたテロリストの脅迫に対し、政府が下した非情の決断とは。そしてヘリの燃料が尽きるとき…。驚愕のクライシス、圧倒的な緊迫感で魅了する傑作サスペンス。 」(講談社文庫)
著者は日本推理作家協会賞、本格ミステリ大賞などを受賞しているが、この小説は推理小説ではない。「なぜ」を考えるという点で、広い意味ではミステリーかもしれないが、犯人は前半1/4程度でわかってしまうし、推理小説とすれば、トリックの詰めに多少甘い点がある、と思う。しかし、サスペンスとしては非常に面白く、かつ、社会的なメッセージ性の高い、興味深い本だった。事件に際して、技術者、現場責任者、警察、一般の人々、マスコミ、そして政府関係者の言動が、よく観察され描き出されていることも面白かった。「放射線」「放射
能」「放射性物質」等々の言葉を、それを使う登場人物によって使い分けているあたりも芸が細かい。全体に、丁寧に取材して書かれたことをうかがわせる。
原発をテーマに書かれた本は、「反対」か「賛成」か、著者の思想が色濃く反映され、極端な書きぶりになることがままあるのだが、この本は、原発の必要性に
ついても、安全性・危険性についても、原発に対して一般の人が感じる不安についてもよく描かれており、善か悪かの単純な二元論に結びつけることのない、
バランスの取れた書きぶりなことが印象的だった。緊迫した展開の中で、感情的になることなく、著者は静かに警鐘を鳴らす。
無関心であることに対して。
「沈黙の群衆」に対して。
事件自体はたった10時間の出来事である。この日、日本中の、ほぼ
全ての人たちがこの事件に注目し展開を見守ったことだろう。しかし、この10時間が過ぎたあと、犯人の捨て身のメッセージを記憶にとどめる人は、どれ
ほどいるだろうか。ほとんどの人は、1ヶ月も経てば、再び日常性という惰性の中で無関心に戻っていくのだろう。
小説の中で、ある登場人物が、このような台詞を述べる。
「世の中には、ないと困るが、まともに目にするのは嫌だってものがある。原発も結局は、そういうものの一つだってことだ」
この小説が発表されてから、社会情勢はいろいろと変化し、環境問題とも絡んで原発に向かって吹く風は多少変化したが、原発に対するこのような考えはほとんど変わっていないのではないかと感じる。賛否はともかく、現在の電力のおよそ1/3は既に原発に依存しているという現実について、考える人はどれだけいるだろう。見なければいけない。でも見たくない。必要だということすら、考えたくない。原発に限らず、世の中にはそのようなことがいくつもある。それに対して、自分が「沈黙の群衆」になっていないか。また、逆に、自らの関わっている分野について、「沈黙の群衆」に対しどのような働きかけをしているのか。様々なことを考えさせられる本だった。一読の価値あり。

