百箇日法要のことを別名「卒哭忌」という。
この日を境に慟哭から卒業するという意味だが、私の場合、とてもじゃないが「卒哭」という状態ではなかった。
あの頃の記憶はあまりない(というか辛すぎて思い返せない)が、百箇日の時、泣き止めなんて酷なことを、と思ったことは憶えている。そしてこれくらいの時から、自分とまわりの温度差を感じるるようになり、他の人には辛さを隠すようにもなっていった。
泣かなくなる日なんて来るのだろうか、と思ったが、いつの間にか毎日ではなくなり、毎月でもなくなり、今ではもうすっかり泣かなくなった。寂しいとは思うけど。
夫はそんな様子を見てどう思っているのかなあ、と思ったりもする。却って安心しているのかな。
今日で、百ヶ月。


